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更新日:
 2009年10月11日




 2006年1月に新5千ウォン札が発行され、2007年1月には新1万ウォン札と新千ウォン札が発行されました。 2006年1月に新5千ウォン札が発行され、2007年1月には新1万ウォン札と新千ウォン札が発行されました。今回の新札は、縦の長さは全て68mmで統一されており、横幅が1,000ウォン札は136mm、5,000ウォン札が142mm、10,000ウォン札が148mmと、額面によって6mmずつ大きくなっています。

☆1,000Won
 2007年1月、新1万ウォン札と新千ウォン札が発行されました。新千ウォン札のテーマは「教育と芸術」だそうです。
 新千ウォン札は、151×76mmだったものが136×68mmと、一回り小さくなりました。また、それ以前の札は、くすんだ茶色でしたが、新千ウォン札は、鮮やかなブルーに変わりました。
 人物は旧札と同じく、儒教の大家、退渓(テゲ)・李滉(イファン)です。李滉は、朝鮮時代、李珥(イイ:5千ウォン紙幣の人物)と同じ派閥にいながら、お互い違う説を唱えた学者です。
 1983年に発行された旧千ウォン紙幣の李滉は、世宗大王や李珥の姿に比べて痩せた感じになっていました。李滉は幼少の頃からおとなしく繊細であったということで、気性の優しい感じを表現するため、このような肖像画にしていたそうです。今回、少し頬がふっくらし、柔らかい雰囲気になりました。


 旧札には、李滉が愛用していた投壺(トゥホ)の壷が描かれていましたが、新札には、李滉と縁が深い「明倫堂(ミョンリュンダン)」と、彼が生前好きだったという梅の木が採用されました。

◎背景の絵(表)
・投壺(トゥホ)
 高麗時代から朝鮮時代(9世紀~19世紀)まで行われた両班(ヤンバン、昔の貴族)の遊び。少し離れた所に壺を置き、遠くから矢を投げ、たくさん壺の中に入れた方の勝ちというゲーム。


・明倫堂
 李滉は成均館(ソンギュンガン)の最高職位(正3品)を数回歴任しており、成均館の明倫堂は宝物第141号に指定されています。


◎背景の絵(裏)
 陶山書院(トサンソウォン)の絵がなくなり、代わって朝鮮後期「真景山水画」を開拓した謙斎(キョムジェ)・鄭敾(チョンソン)の「渓上静居図」が入りました。

・陶山書院(トサンソウォン)
 李滉の業績を称える人たちが中心となり、慶尚北道・安東(アンドン)に建てられた書院。書院内には約4000巻を超える蔵書と李滉の遺品が残されています。

・渓上静居図(ケサンチョンゴド)
 宝物第585号である「退尤二先生真蹟」という本の中に描かれた絵。李滉が書堂で「朱子書節要」を執筆している生前の様子を描いたもの。


◎偽造防止技術
 新千ウォン札には新1万ウォン札や新5千ウォン札のようなホログラムはありませんが、様々な偽造防止技術が使われています。

・色変換インク
 紙幣をかたむけると、裏側の「1000」の数字が緑から青に変わります。


・表の中央の帯
 糸でお札を縫ったように、見えたり隠れたりを反復しています。また、その帯には文字が書かれています。


・人物の襟の縫い目
 「BANK OF KOREA」のマイクロ文字が隠されています。


・裏の絵
 裏の絵、李滉が座っている建物の下にも「BANK OF KOREA」の文字があります。この他にも表、裏の様々な所マイクロ文字が隠されています。










・透かし、触感など
 視覚障害者用の印や、絵の部分だけザラザラして触感が違ったり、光にすかしてみると李滉の顔がもう一つ出てきます。


☆5,000Won札
 5千ウォン札は、23年ぶりに、2006年1月2日から新しいデザインに変わりました。変った点は、以下の点です。

1. 財布に入りやすいように、紙幣の大きさが横14mm、縦8mmだけ小さくなった。(変更後は横142mm、縦68mm)

2. 新札の表は旧札と同じ栗谷・李珥(ユルゴッ・イイ)の肖像ですが、裏に書かれていた烏竹軒は申師任堂(シンサイムダン)の作品として知られる草蟲図(スイカとケイトウの絵)に変更されました。

3. 表の左下にホログラムを使った偽造防止技術が採用されました。

4. かし絵、微細文字、突出した銀貨模様など、約20種の偽造・変造防止技術が施されています。

◎表
・栗谷李珥(ユルゴッ・イイ)(1536-1584)
 5千ウォン紙幣の表には、栗谷・李珥(ユルゴッ・イイ、栗谷は呼称)という人物が描かれています。朝鮮中期の政治家、学者で、『韓国儒学の父』と呼ばれています。当時、国際情勢を見て日本が朝鮮に攻めてくることを予測し、軍人十万傭兵説を声高に主張した人物です。李珥の没後、文禄の役(1592)が起こりました。
 李珥が初めて紙幣に登場したのは1972年7月に発行された5千ウォン札でしたが、当時の5千ウォン紙幣に描かれた李珥は西洋人のように鼻が高く、目も細かったため、冷たい印象を与え、評判があまりよくありませんでした。これは、採用された李珥の肖像画が、銅像をもとにイギリスの造幣機関で原版が図案されたため、イギリス人の紙幣デザイナーがイギリスの感覚で目や鼻、口を描いたため、そのような図案になったのだといわれています。
 その後、韓国政府は韓国人画家に李珥の肖像を描かせ、1977年6月に新しい5千ウォン札が発行されました。今まで使用されていた5千ウォン札は1983年に発行されたもので、2002年に部分修正され、再発行されました(中央の銀線、点字マーク、隠し絵などが一部、変更されました)。

・烏竹軒:中央に烏竹軒と、そこに植えられている黒い竹(烏竹)の模様
 栗谷李珥が生まれた家です。烏竹軒(オジュコン)という名称は家の周囲に烏竹(くろちく、樹木名)がたくさん茂っていたので、そう呼ばれるようになったと言います。
 烏竹軒は1963年に宝物(国宝と重要文化財の中間にあたるもの)に指定され、現在のものは1975年に補修工事を終えた後に誕生したものです。

・ホログラム
 左下には、見る角度によって朝鮮半島の地図や太極(韓国の国旗)模様、金額、四卦などの模様が順番に現れるホログラムがあります。また、金額の「5000」の色も見る角度によって黄金色、緑などと変わるように特殊インクを採用しています。


◎裏
・草蟲図(スイカとケイトウの絵)
 朝鮮王朝時代中期の女性画家、申師任堂(シンサイムダン)の作品として知られています。草蟲屏風の中央に描かれているスイカと鶏頭の絵を背景として使用しています。


☆1万Won札 
 2007年1月に新1万ウォン札が発行されました。161mm×76mmだった大きさが148mm×68mmと、一回り小さくなりました。
 同じグリーン系の色ですが、明るい色になりました。区別しやすいように、千ウォンと1万ウォンは冷たい色、5千ウォンはあたたかい色と交互に分けたようです。1万ウォン札は、色が白菜に似ているということで、俗に『ペチュンニッ(白菜の葉っぱ)』と呼ばれることもあるようです。

◎表
・世宗大王(1397-1450)
 表の人物は引き続き世宗大王ですが、輪郭がくっきり、表情が自然になりました。世宗大王は、朝鮮時代(1392-1910)の第4代王として様々な科学的業績を残してきた偉い方です。その中でも「世宗大王」といえばやはり「ハングル文字」を作ったということが有名です。また世界初の雨量計である測雨器や、日時計、水時計などを発明したりと文化、国防などに秀でた業績を残しています。朝鮮時代の王の中で最も優れた王であるという功績を称え、現在では大王という呼称を後ろにつけ、「世宗大王」と呼ばれています。


・背景の絵
 世宗大王の隣りに描かれていた水時計はなくなりました。その代わりに、ハングルで創作された最初の作品「龍飛御天歌(ヨンピオチョンガ)」第二章の内容と、朝鮮時代の王の象徴であり、韓国だけの独創的な絵である「日月五峰図」が入りました。

・水時計
 世宗大王の時代に、水の流れを利用し、自動で動くように設計され作られた時計です。1433年に作られた後、改良された物が1434年に景福宮(キョンボックン)に初めて設置され、公式に使用されるようになりました。


・日月五峰図
 朝鮮時代、王の後ろに必ず飾られた絵です。月、山、松など、それぞれに意味があり、朝鮮王室の国家観を感じ取ることができる興味深い画です。この日月五峰図は、景福宮(キョンボックン)などの古宮でも見ることができます。


・背景の絵(裏)
 裏にあった建物「慶会楼(キョンフェル)」も今回なくなってしまいました。代わって、朝鮮時代の天文図「天象列次分野之図」を背景にして、天文観測器具である「渾天儀(ホンチョンウィ)」と普賢山(ポヒョンサン)天文台の「光学天体望遠鏡」が描かれました。「科学技術」のテーマにふさわしいですね。


◎偽造防止技術

・ホログラム
 「天園地方」の意味が込められた正四角形のホログラムが施されました。いろんな角度で見ると、模様が変わります。


・透かし文字
 世宗大王の右側に縦に入っている細い線を光に透かしてみると「韓国銀行, 10000, BANK OF KOREA」という文字が現れます。


・色変換インク
 裏の「10000」という数字ですが、お札を傾けると黄金色に見えたり、緑色に見えたりします。


・マイクロ文字
 世宗大王の襟元、縫い目の中にマイクロ文字が隠されています。ここにハングル創造当時の28字が刻まれています。


 表の横線にも「10000WON」という字がいっぱいあります。


 表、世宗大王の帽子の横の模様、よく見ると「10000」という字がいっぱいあります。


 表、日月五峰図の赤い太陽の方だけ、マイクロ文字が書かれています。


 渾天儀(ホンチョンウィ)の画の中に「BANK OF KOREA」のマイクロ文字が書かれています。


☆5万Won札
 2009年6月には、新らしく5万ウォン札が発行されました。こは、1973年の1万ウォン札の発行以来、36年振りの最高額紙幣の発行です。縦は68mm、横幅は154mmで、1万ウォン札より6mm大きくなっています。
 紙幣に描かれている人物は申師任堂(シン・サイムダン:1504~1551年)です。朝鮮時代中期の女流書画家です。山水、葡萄、草、虫などの絵画、漢詩などの分野で優れた作品を残しています。徳水李氏の元秀と結婚、7人の子女の教育に励んだ申師任堂は“良妻賢母”の象徴的人物とされています。
 5千ウォン札の肖像となっている儒学者、栗谷李珥(ユルゴッ・イイ)は、申師任堂の息子の1人です。5千ウォン札の裏に描かれている草蟲図(スイカとケイトウの絵)は、申師任堂の作品です。
 韓国の貨幣で実存する女性が描かれたのは今回が初めてです。申師任堂の肖像画製作にあたっては、生存当時の頭髪や服装等について専門家の検討が練られたそうです。

◎背景の絵(表)

 「墨葡萄図」と「草蟲図繍屏」  背景の模様
 
 申師任堂の作品と伝えられている2つの絵画です。「墨葡萄図」は、つるから下がったブドウの絵です。「草蟲図繍屏」は、8幅の屏風に草木や虫の姿が描かれている作品です。紙幣には、そのうちの、ナスの絵が採用されています。  肖像の左側には蘭と幾何学模様が、右側には高句麗古墳壁画の模様がそれぞれ配置されています。他の紙幣には建物や道具が描かれていますが、5万ウォン札は自然の草木などが多く採用されています。 

◎背景の絵(裏)
 裏面には、既存の紙幣にはなかった縦向きのデザインが採用されました。朝鮮中期の画家、李霆(イ・ジョン)の「風竹図」です。さらに、その上に魚夢龍(オ・モンリョン)の「月梅図」が描かれています。



◎偽造防止技術

・ホログラム
 紙幣表面の左端に、特殊フィルムによる帯状のホログラムが採用されました。さらにホログラムの中には角度によって模様が変化する太極、韓半島の地図、4つの卦(占いの一つ、易に用いられる基本図象)が描かれています。





    太極の模様の上に、角度を変えてみると、韓半島が現れます。

・立体構造
 これは韓国の紙幣では初めて導入された「立体型部分露出銀線」という技術で、紙幣に隙間が空いているのです。ただし、この隙間、使用するにつれて広がっていくと、ATMなどでの使用に障害を引き起こす可能性があるとの懸念もあるそうです。



 無理に広げて、破いてしまっても、当方は責任をとれませんので、御注意ください。

・マイクロ文字
 紙幣の図柄のあちこちにマイクロ文字が隠されています。



 襟元にハングル創造当時の28字があります。



 円を囲む「50000won」の文字があります。



 木の幹には、「BANK OF KOREA」と書かれています。

・その他
 視覚障害者用の印があります。また、絵の部分だけざらざらしていて、触わった感じが違うことが分かります。また、裏の「50000」の数字の色は、角度によって変わります。